2022.03.30
学びインタビュー 平岡妙子

25歳のスランプ 母が娘を信じたひと言に救われた 元テニス選手の杉山愛さん

夢中の力


テニスで世界トップ選手として活躍した杉山愛さんに、強くなるために必要なことや、スランプの乗り越え方について話を聞きました。杉山さんは引退後、子どもたちへの指導などをしながら、6歳の男の子と0歳の女の子の母親として子育てに忙しい毎日を送っています。メンタルを強くする方法や、子育てで大切にしていることなどを2回に分けて、お届けします。

前編:25歳のスランプ 母が娘を信じたひと言に救われた

後編:テニスで強くなるには 呼吸法でイメージトレーニング

全国の「テニススクール プリマステラ」の教室一覧

体操のおかげで身についた柔軟性

――小さいときには、どんな習い事をしていましたか?

身体を動かすことが大好きで、好奇心が旺盛だったので、見れば何でもやってみたいという子でした。生後10カ月から親子スイミングをやって、体操教室、クラシックバレエ、フィギュアスケート、ピアノとテニスといろいろな習い事をやりました。

――その中で合ったものと合わなかったものは、何でしたか?

ピアノは始まってすぐに「あんまり合わないなぁ」と思ったものの、母と「やるからには、ある程度の期間、頑張って続けましょうね。すぐにやめるのでは、本当に好きか嫌いかもわからないから」と約束したので、1年間続けました。

やって良かったなと思うのは体操でした。トランポリンやマット運動をして、柔軟性が身につきました。選手時代にそれほど大きなケガをしなかったのは、体操のおかげかなと思います。水泳と体操は全身運動でとても良かったですね。

小2から毎日3時間のハードな練習を楽しむ

――テニスにしぼったのは、いつぐらいですか?

テニスが一番大好きになって、「もっとやりたい」と週3回に増やしても物足りないなと思うようになりました。そんなときに車で15分ぐらいのところに、本格的なテニスアカデミーが出来ました。小学2年生で他の習い事は全部やめて、放課後の午後5時~8時までのハードな練習をするようになりました。

――世界的なアカデミーが通える範囲に開校したのは、運命的なことですよね。

そういうご縁もありがたかったですね。プロを目指すような子どもたちが100人近くいて、一番下の方でかわいがってもらいました。

――「もっとやりたい」という気持ちのもとは何だったのでしょうか?

とにかく楽しかったです。テニスのボールが真ん中のきれいなところに当たる感覚や、ラリーが続くようになって、手応えを得られるようになりました。友だちと遊びに行くような感覚で、楽しかったなぁという思い出しかないですね。

――やっぱり一番大事なことは「楽しい」でしょうか。親に言われて始める子どももいますが、楽しいという気持ちを引き出すにはどうしたら良いと思いますか?

子どもの時は、練習が楽しくて行きたいなと思える事が必要です。お子さんにあったテニススクールやコーチとの出会いが重要で、継続につながります。

――負けず嫌いな性格だと聞きましたが、もともと身についていたものですか?

負けず嫌いという性格は育てるのが難しくて、持っているかいないかですよね。私はアスリートになるべくしてなったような気質の子どもでした。スポーツの個人競技向きでした。

近所のお兄さんたちとトランプで遊んでいたときに、小さいから何回も負けちゃって、泣けなくて我慢していたら、身体からじんましんが出たことがありました。かゆいなと思ったら、「愛ちゃん、身体にぶつぶつができているよ!」って言われてびっくりしたことを覚えています。身体に異常反応として出てきちゃうぐらい、負けるのが嫌いでした(笑)。

泣いて悔しがる経験は良いこと

――世界のトップになる人は、それぐらいの負けず嫌いの性格が根底にあるんですね。でも親が、泣くのはかわいそうだと先回りして思うことはどうですか?

いや、泣くのは良いことですよ。悔しいって思わなかったら次がないし、大きな起爆材料です。泣くことは表面的にはマイナス面に見えるけれど、そういう経験がないと、反発するような、「やってやるぞ!」という気持ちにならないです。泣くぐらい悔しいのなら、良いことだなと思います。

――泣いてばかりいるから、向いていないのかもしれない。もうやめさせた方が良いのかもと悩む親もいますが…。

子どもの姿を見ていれば、その競技がどれぐらい好きかはわかりますよね。好きでうまくなりたいからこそ、泣いてラケットも投げたくなることもあります。だけどレッスンの日になると、毎回おなかが痛くなっちゃって「行きたくない」ってなるなら、好きじゃないのかもしれない。お子さんをよく見て、どういう気持ちなのかを探ってあげることが大事ですね。

――負けん気がない子は、どうしたら良いですか。「一番になんかなりたくないし」とか言う子もいますよね。

悔しいけど一生懸命になるのがかっこ悪いから言っているのか、その言葉の真意を探ることですね。勝つことだけが大事ではありません。勝負が好きでなかったらチームプレーが合うかもしれないし、ダンスや創作とかその子にあったものは絶対あると思います。子どもに合うものを、子ども目線で探してあげることが良いですよね。

25歳で初めての大スランプ 

――どんどんうまくなって世界で闘っていくときに、愛さん自身の心はどのように強く保ったのですか?

ジュニア時代には負けて悔しくて泣くのとは裏腹に、試合中はポーカーフェイスで冷静な子でした。チェスのように戦略を組み立てて、頭を使うテニスを楽しんでいました。

17歳でプロになってからは、世界に行けば行くほど強い人がいて、自分の心の弱さにも気づかされました。若さの勢いでバーッとうまくいった時代があったけれど、25歳で壁にぶち当たってスランプに陥りました。

――初めての反抗期が来たと母親の芙沙子さんの本にも書いてありましたが、大きなスランプだったのですね。

初めてぶち当たる壁だったので、どうしたら良いのかわからない。テニスが崩れてきてしまって、どこに向かっているのかがわからない。負けが続いてランキングがどんどん落ちていく。プロでやっていけないかもと恐怖を感じて、もう逃げの気持ちですよね。

ボールが飛んでくるのが怖い、打ち方が分からないという状態にまでなってしまいました。コートに立つのが苦しい、練習していても涙が出てくる。25歳のときに、「やめたい」と初めて思いました。

――大好きで楽しかったテニスを、やめたくなってしまったのですか?

アメリカから母に電話して、「このままやっていてもしょうがない。やめようと思うんだけど…」と言いました。母からは、「ここでやめたら、他のことをやってみてもうまくいかないんじゃない?プロとしてこの道を選んだけれど、やるべきことをやりきれたの?」と聞かれました。

「やりきったかな?」と自分に問いかけてみたら、簡単に答えが出ました。「やりきれてないと思う」。「じゃぁ、やりきらなきゃじゃない」と母に言われて、本当に素直に、自分が逃げていたことに気がつかされました。

母が信じてかけてくれた言葉の力

――そこからは、どのように立て直したのですか?

「やりきらなきゃ」と思い返せたのですが、あまりにもひどい状態でした。「頭ではわかっても、どこに進んでいったらいいのか、なにをやったらいいのか、私にはまったく見えないのだけど…。ママには見えるの?」って聞いたら、「見えるわよ」ってすぐに言ってくれました。

「この人に見えるのだったら、ついていくしかないな」と思いました。当時は海外のコーチがついていたのですが、契約を解除して、母をコーチにして新しくスタートしました。

出来ることを、自分自身よりも信じてくれた母親

――ボールが怖いところから立て直すのは大変でしたよね。

打ち方もゼロから作り直して、フォームからトレーニング、遠征のまわり方まで変えることだらけです。心技体が乱れてしまい、すべてを見直しました。

――母親がコーチをすることは、わかり合えるけれど、ぶつかることも多そうな気がします。

まぁ、難しいですよね。精神状態がずたずたの中で、親子だけど、コーチと選手というプロフェッショナルな関係性が求められました。正しいことを言われても、聞き入れられないし…。最初はむちゃくちゃぶつかりましたし、けんかもしましたよ。

――でも母親が「見えるよ」と信じてくれたことで、大丈夫だと思えたのですか?

それはもう大きかったですね。自分で自分のことが信じられない中で、自分よりも大きく信じてくれて、出来ると言ってくれる。「見える」という言葉が何よりも勇気づけられました。

ピンチはチャンス スランプのおかげでたどり着いた世界トップ10

――スランプ後の活躍がすごかったですよね。

結果が出るまでには1年ぐらいかかりましたね。最初は目隠しされている中で手を引っ張られているような状態からのスタートだったので、長いトンネルでした。

とても良い経験で、あのとき辞めなくて本当に良かったです。スランプから25歳で再スタートして、3年後に自分が夢としていた世界トップ10に入りました。スランプがなかったら、トップ10の領域には入れなかったと思います。

――スランプがあってこそ、強くなれたのですか?

ピンチはチャンスと言うけれど、本当にターニングポイントになりました。スランプがなかったら、世界の20~30位をうろうろ出来たかもしれないけれど、トップ10には行けなかったと思います。

★後編では、スランプで学んだ心の整え方と、2人のお子さんの子育てについて伺います。

プロフィール:杉山愛(すぎやま・あい)
4歳でラケットを握り、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。17歳でプロになり、グランドスラムでは女子ダブルスで3度の優勝と混合ダブルスでも優勝を経験し、グランドスラムのシングルス連続出場62回は女子歴代1位の記録。2011年に結婚、2015年長男、2021年長女を出産。現在は、情報番組のゲストコメンテイターやテニス解説などで活躍。

写真撮影:横関一浩

関連記事:後編:テニスで強くなるには 呼吸法でイメージトレーニング

関連記事:親は真のサポーターに徹する テニスの杉山愛さんの母親 杉山芙沙子さん
関連記事:子育ては笑顔がごほうび テニスの杉山愛さんの母親、杉山芙沙子さん

全国の「テニススクール プリマステラ」の教室一覧 

様々な競技を総合的に練習するスポーツスクール「biima sports」(テニスあり)

平岡妙子
平岡妙子

朝日新聞社に記者として入社し、社会部、AERA編集部や武蔵野支局長など。教育担当が長く、主に小中学校の学力調査や受験業界などを取材。小学生の時には合唱団で歌っていました。学校の取材で子どもの歌声を聞くと、涙腺がすぐゆるむ。大学生の長男と小学生の長女がいます。