2022.03.29
学びインタビュー 桜木奈央子

「子どもの夢はできるだけ大きく」奈良の秘境から世界的イリュージョニストのHARAさん

夢中の力

世界を舞台に活躍するイリュージョニストのHARAさん(31)は、奈良県十津川村という小さな村でマジックを独学で習得し、18歳の時にラスベガスでの世界大会で日本人初のグランプリを受賞。現在も世界25カ国以上のショーなどで人々を魅了しています。HARAさんが世界に飛び出した原動力、子どもの夢中の伸ばし方、好きなことを仕事にする秘訣などについて話を聞きました。前後編でお届けします。

前編:「子どもの夢はできるだけ大きく」奈良の秘境から世界的イリュージョニストのHARAさん

後編:夢中からすべてが始まる 世界的イリュージョニストのHARAさんに聞く

5歳でマジックとの運命的な出会い

――マジシャンになりたいと思ったきっかけを教えてください。

子どもの頃は奈良県十津川村という山奥で育ちました。最寄りのコンビニまで車で1時間かかるくらいの山奥です。小学校もバスで片道50分かかりました。

父の仕事で、家族みんなで東京に行ったときのことです。僕は5歳でした。たまたま母が連れて行ってくれた井の頭公園で、赤い鼻をつけたピエロに出会ったんです。僕はピエロという存在を知らなくて「あの人はなんだ?」と近づいていきました。

夕暮れ時の公園でシャボン玉がたくさん流れてきてオレンジの光の中でキラキラと輝いていました。ピエロのお兄さんが僕の目の前でシャボン玉をひとつ掴んで、手のひらでガラス玉に変えて見せてくれて、とても驚きました。「わぁ、魔法だ!」って。

――マジックを「魔法」だと思ったのですね。

都会には魔法使いが住んでるって思いましたね。奈良の家に帰って、すぐ石鹸を泡立ててシャボン玉を作りました。でも、何度それを掴んでも「あれ?ガラス玉にならない」って(笑)。

――それがマジシャンになりたいという出発点ですね。

母に「マジシャンになりたい」と伝えたら、肯定も否定もせず「なるほど」とだけ返ってきました。そして僕に「マジシャンとして叶えたい夢をノートに1年ごとに書きなさい」と言いました。僕は考えられる限りの夢を年表のように書きました。

――たとえばどんなことを書いたのですか?

高校生でマジックの世界チャンピオンになって、それが映画化されて…とできるだけ具体的に書きました。当時、それを眺めながら「こんな山の中からどうやってこの夢を叶えようかな」と思っていましたが、不思議なことにそこに書いたことは今すべて叶っています。

――書いたことが現実になったのですね。

「世界を魅了するマジシャンになりたい」と書き、子どもの頃からずっとそれを意識していました。その時に「マジシャンになりたい」という夢を描いていたら途中でやめていたかもしれません。マジシャンになった時点でその夢は終わるから。でも「世界を魅了するマジシャンになる」が夢なので、まだまだやりたいことがたくさんあります。

自然の中で育まれたクリエイティビティ

宿題は庭で。奈良県十津川村の子ども時代。提供:HARA宿題は庭で。奈良県十津川村の子ども時代。提供:HARAさん  ――ご両親にはどのように育てられたのですか。

すべてを自然から学べという教育方針でした。近くに通える保育園もなかったので、小学校に入るまでは毎日野山を駆け回りました。朝、テーブルの上におにぎり2個とお茶が置いてあって、「夕日が沈むまでに帰ってきなさい」と野に放たれたんです(笑)

――なんとワイルドな(笑)

ひとりで滝を見に行って滝に飲まれそうになったり、台風なのに散歩に出て危なかったり、自然の怖さもひとつひとつ感じながら学びました。兄妹と一緒に秘密基地を作ったりもしました。両親はいつも「自分たちで遊びを考えてきなさい」と言っていました。

――子どもの生きる力を信頼していたからこそできることですね。

こんなこともありました。5歳のクリスマスの時、プレゼントにミニカーが欲しくて両親にお願いしたら、赤い包みの箱をもらって…。ミニカーだと思ってわくわくして開けたら木片と小刀だったんです。「これ何?」って聞いたら、父が「欲しいものは作りなさい」って(笑)。

僕は木を削って小さな車を作りました。冷蔵庫に貼ってあった磁石を母にもらって、磁石同士の反発しあう力でミニカーを動かして「じしゃんカー」と名付けて遊びました。

独学でマジックを習得した小学校時代

人生最初の宣材写真。小学生のころ、実家の庭で母が撮影。提供:HARAさん人生最初の宣材写真。小学生のころ、実家の庭で母が撮影。提供:HARAさん

 ――どうやってマジックを習得したのですか。

当時はインターネットも届かなかったので、テレビでマジシャンが出た番組を録画しました。それをコマ送りして、逆回しして、スローモーションで何度も繰り返し見ていたら、マジシャンの袖から鳩がシュルシュルと出てくるのが見えました。

道具もなかったので、マジックの杖も自分で作りました。杉の枝を削って皮をはがして、色を塗って。鳩もいなかったので、ニンジンを袖に入れてマジックの練習をしました(笑)

――誰にも教えてもらえず、道具もなく、ひとりでマジックを習得する過程で「もう無理」って諦めそうになりませんでしたか?

山しかない環境で時間は膨大にあったので、諦めるというより、その過程が楽しかったです。小学校でマジックを披露したらみんなに喜んでもらえたのも嬉しかったし。

でもしばらくして友達が僕のマジックを見ることに飽きてしまったので、今度は仲間を作ろうと4年生のときに学校で「ボランティア部」を作りました。僕が簡単なマジックを友達4、5人に教えて、みんなで放課後に老人ホームでマジックを披露していました。そしたら、おばあちゃんが泣いて喜んでくれて。

――おばあちゃんが泣いたんですか?

すごい!って感激してくれて、おばあちゃんが少女のような顔をして泣くんです。その時、「ああ、マジックにはこんなすごい力があるんだ」と感じました。人をこんなに変えることができるのがマジックなんだって。

――小学生でそんな感動を味わえたのはすごいですね。

原点となる体験でした。

家と小学校の移動はバスで片道50分だったので、バスの中でもよく練習しました。

外が暗いとバスの窓に自分が映るので、それを鏡にしてマジックの基本技であるバックパーム(手の甲にカードを隠すテクニック)などの練習していました。夢中になって練習していたら、外でバスを待っているおばちゃんがカードを消したり出したりしている僕を見て驚いていました。

そうやって「マジック少年がいる」と少しずつ話題になって、活躍の場が広がりました。呼ばれる場が500人のお祭り、1000人のイベントとどんどん大きくなったので、それに合わせてマジックも大きなものにしていき、やがてイリュージョンになりました。

――マジックに夢中だったんですね。勉強はしていましたか…?

2年生のときの「マジシャンになりたい」という宣言は、マジックのためにすべてを捧げるから勉強は許してという意味も含んだつもりです(笑)

母親は「やりたいところまでやりきりなさい。そうしたら、その夢がだめでもどこかで役に立つから」と言っていました。やるからには一流を目指せと。

世界大会で惨敗、成績オール1も「自伝のネタになる」

――子どもの「夢中」を伸ばす教育方針ですね。

母を困らせたこともありました。高校の時、アメリカでマジックの世界大会に挑戦したんです。渡米前に地元の新聞社が取材に来てくれて大きな記事になって、たくさんの人が期待してくれましたが、結果は惨敗でした。

さらに、渡米したから期末試験を受けられなくて、成績はオール1。学校に母が呼び出されて、あなたの息子さんは学年で最下位ですと宣言されて…。

先生の前では「この子はマジシャンになるからいいです」と言っていましたが、帰りの車の中で母の横顔はさみしそうでした(笑)

――HARAさんはそれでも自分を信じきれたのですか?挫折しませんでしたか?

マジックも成績もだめか、と自暴自棄になった時期もありました。でも、子どもの頃に書いた夢の年表に「自伝を出す」と書いたので、「この挫折も自伝のネタになるかも」と思っていました。挫折があるからこそ人を感動させる物語になる、と。

僕が好きな言葉に、シェイクスピアの「この世は舞台、人はみな役者」というものがあります。落ち込む出来事があるといつも、意識の中で自分を舞台の上の椅子に座らせ、もうひとりの自分は観客席に降りてきて、舞台の上の自分を見ます。

舞台上で座っている自分という役者に次、何を期待するか。どんな展開だったらおもしろいか。それを考えると落ち込む時間も少なく次のステップに進めます。

――その考え方は「メタ認知」に近い気がします。

自然の中で育ったことが影響しているかもしれません。自然というのはリミットがない状態。夜空を見上げると、たくさんの星があって、その先に宇宙があって…。そんな無限の可能性の中に自分がいると感じます。

――自分を客観視することが問題解決につながるのですね。

あとは、夢の年表に「マジシャンになる」と書かなかったこと。「マジシャンになる」のが目標なのか、「世界を魅了するマジシャン」を目指すのか、その前提条件の差は大きいんです。

人って、自分で設定しているイマジネーションまでしか行けないから、できるだけ最初のイマジネーションを大きくしておくといい。その方がどんどんその先に行けます。

――HARAさんのようにイマジネーションを大きくしておくためには、どうしたらいいのでしょうか。

子どもには「将来、何になりたい?」って職業を書かせないほうがいいと思います。それよりも、「今、何が好き?」と聞く方がいい。

好きなものはどんどん変わるから、そのとき子どもが好きなことを親子で一緒に楽しんだら、子どもの好きなことや夢中は無限に広がっていくのではないでしょうか。

【プロフィール:HARA(はら) 】

イリュージョニスト、イリュージョンクリエイター。1990年生まれ、奈良県十津川村出身。2009年にラスベガスのマジック世界大会で日本人初のグランプリを受賞。自身の半生を基にした青春小説『マジックに出会ってぼくは生まれた―野生のマジシャン HARA 物語-』(小学館)が発売中。

写真撮影:桜木奈央子

関連記事:後編:夢中からすべてが始まる 世界的イリュージョニストのHARAさんに聞く

桜木奈央子
桜木奈央子

写真家、ライター。2001年からアフリカ取材を続ける。著書『世界のともだち ケニア』『かぼちゃの下で』。雑誌や新聞にフォトエッセイや書評を執筆。「cinema stars アフリカ星空映画館」代表。最近の趣味は息子2人のサッカー撮影。小学生の頃は本の虫、星野道夫さんに憧れ17歳でひとり旅に。

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