好きなことを仕事にするには? ラグビーから陸上ハードルに復帰した寺田明日香さん
「夢中の力」

陸上女子100メートルハードル前日本記録保持者で東京五輪代表の寺田明日香さん。摂食障害やけがなどで悩み、2013年に陸上競技を引退しました。翌年に長女(7)を出産。その後、7人制ラグビーに転向する形で現役復帰し、2019年に陸上競技に再び挑戦することになりました。夢に向かって励む寺田さんに、新しい世界に飛び込む原動力や夢中の見つけ方について聞きました。前後編でお届けします。
前編:好きなことを仕事にするには? ラグビーから陸上ハードルに復帰した寺田明日香さん
後編:習い事の辞めどきを見極める方法は? 子育て中の陸上ハードル・寺田明日香さん
「ディズニーランドで遊ぶ」が走るモチべーション
女子100メートル障害準決勝で力走する寺田明日香さん=2021年8月1日、国立競技場(C)朝日新聞社
――陸上競技をはじめたきっかけを教えてください。
両親が陸上選手で、小学4年生のころに祖母が「明日香が競技場で走る姿を見たい」と、札幌の大会に申し込んでくれたのがきっかけです。その大会で2位になれたんです。
試合に勝ち進めば東京で開かれる全国大会に出場できるのですが、どうしても東京ディズニーランドに行きたくて。それがモチベーションになって、一生懸命走っていましたね(笑)。5、6年生で全国大会に出場し、ディズニーに行けたときは本当に嬉しかったです。
摂食障害やけがに悩み、引退を決意
――インターハイ3連覇、日本選手権3連覇を達成され、キャリアを積んでいた中、なぜ引退しようと思ったのですか?
20代前半に体の変化が始まったんです。太ったり、痩せたりするのが続き、自分を追い込んでいくうちに摂食障害になってしまいました。人が見ているときは食べて、一人になったら吐いて、体重は数週間のスパンで47~60キロをいったりきたりしていました。
生理も止まり、ピルで体をコントロールするようになりました。でもピルを止めてしまうこともあって…。栄養が体にまわらないせいで疲労骨折もしてしまい、このままでは陸上をやっていけないと思い、23歳で引退しました。
――生理などの体の悩みは、なかなかまわりの人に相談しにくいですよね。
私はもともと生理が重たい方で、中高生のころからずっと悩んできました。
当時は女性の健康やメンタルヘルスの理解が進んでいなくて、気持ちが悪くて練習ができないと伝えても、「心が弱いだけ」と片付けられる時代でした。だから私も「強い自分でいないとダメ」と思って、チームの仲間に相談することはできませんでした。
陸上を辞めてからは、札幌の実家にしばらく帰りました。母にも「食べられるものを食べたいときに食べて、ゆっくりしたら?」と言われ、症状は少しずつ改善していきました。
出産後、陸上から7人制ラグビーに転向
トライを決めた寺田明日香さん=2017年5月13日 、秋田市・あきぎんスタジアム(C)朝日新聞社
――26歳のとき、7人制ラグビーに転向する形で現役復帰をして驚きました。ラグビーに挑戦しようと思った理由は何ですか?
実は陸上競技を辞めたときにも、友人から「一緒にラグビーをやらない?」と声をかけてもらったんです。当時はお断りしたのですが、2016年のリオデジャネイロ五輪直後にまた別の方から誘ってもらって。何回も「五輪を一緒に目指そう」と言ってくれることって、そんなにないんじゃないかなと。
自分を必要と思ってくれる場所があるなら、そこで挑戦した方が良いと思いました。
――ラグビーはそれまで経験したことはありましたか?
ラグビーボールは遊びで一度しか触ったことがなく、ルールも全く知らない状態でした(笑)。
――そうだったのですね!未知の世界に飛び込むことへの不安はなかったのですか?
ラグビーを始めたころは娘が2歳で、アスリートとしても3年のブランクがあったので、体力面での不安はありましたね。でも夫も「やってみなよ!」と前向きに背中を押してくれました。
ラグビーの仲間からは「ただ走ればいいから」と言われてやってみたのですが、30キロ以上の体重差のある選手にタックルされると、びっくりするくらい飛ぶんですよね(笑)。これはすごい競技だ!と思いました(笑)。
ラグビーで気づいた自分の「夢中」
――個人競技の陸上と団体競技のラグビーだと、いろんな違いがありそうですね。
陸上のハードルと違って、ラグビーは仲間とプレーをするので、コミュニケーションの取り方についてすごく考えるようになりました。
あの選手はこういう特徴があって、こういう言い方をすれば、すごくプラスに動いてくれる。でもあの選手に同じ言い方をしたら、逆にひねくれちゃうみたいな(笑)。これは子育てにも活きているのですが、人を見る力や声のかけ方を学ぶことができたと思います。
――相手がやる気を出すための伝え方ってとても大切ですよね。ほかにも、ラグビーを通して得た学びや気づきはありますか?
一人ひとりの選手の持ち味を引き出すために、足りない部分をプレーで補えるのが、ラグビーの一番良いところだと思います。陸上をしていたときは、体の悩みを誰にも相談ができず、弱い自分を見せちゃいけないと思っていましたが、まわりに頼るのは悪ではないということを、ラグビーの仲間から教わりました。
「タイム以外のものを拾っていきたい」
女子100メートル障害で当時の日本新記録の12秒97を樹立し喜ぶ寺田明日香さん= 2019年9月1日 、山梨県富士吉田市 (C)朝日新聞社
――再び、陸上競技に挑戦しようと思ったのはなぜですか?
五輪で走る姿を娘に見せたいと思ったからです。それと、タイムの世界を一度離れて、陸上への本当の気持ちに気づけたからです。
――それはどういうことですか?
陸上を辞める前は、大会で1位になってもタイムの結果が悪かったら賞状を捨てて帰っていました。これ持って帰る意味ないわって。私、本当に悪いやつだったんです(笑)。
でも、ラグビーをしているときの自分は、タイムのことも頭に入っていないので、ただただ走るのが楽しいんですよね。私って、走るのが大好きだったんだなって。だから、かけっこの本来の楽しさをもう一度味わいたいと思いました。そして、陸上でいろいろ残してきたタイム以外のものを拾っていきたいなと。
――タイム以外のものとは?
陸上を辞めるときに喧嘩したコーチとの仲直りを含め、いろんな方に挨拶できないまま辞めてしまったので、人間関係の面でやり残したこと。
そして、前は体重管理の厳しさなどで、「楽しい」よりも「苦しい」が大きかったので、こんな思いをするなら娘には陸上をやってほしくないとずっと感じてきました。でも、本当は、娘に「走るのって楽しいよ」と本心から言えるようになりたいし、陸上を嫌いなまま離れるのではなく、好きなままで辞めたいと思ったんです。
どんな選択肢も将来につながる
オンライン取材に対応してくれた寺田明日香さん
――「苦しい」が大きくなりすぎると、好きなものも嫌いになってしまうことってありますよね。どうしたらそこを乗り越えられると思いますか?
私の場合は、苦しいがあまりにも強かったので、陸上を嫌いになったと思い込んでいました。でもラグビーを通して本当の自分の気持ちに気づけたので、好きを隠しながら生きていたのかなと。だから苦しいときこそ、もっと自分の気持ちに素直になって、好きなものと向き合うことが大事だったんじゃないかと思います。
本当に苦しくて嫌になったら、やっていることを一度辞めて、新しいことに挑戦するのも良いし、思い返してまたやりたい!と思ったらやり直してみるのも良いんじゃないかな。どんな選択肢を選んだとしても、その課程で得た経験や学びは将来につながると思います。
――東京五輪では日本勢として21年ぶりの準決勝進出を成し遂げましたね。
夢に見た舞台だったので、本当に楽しく走れました。娘はいつも私に厳しいのですが、あの日は「オリンピックで走れて良かったね。準決勝おめでとう!」とほめてくれました。親子にとって五輪は本当に特別なものだったんだなと、感動しました。
――今後の目標を教えてください。
体が動くうちは走り続けたいと思っているのですが、2024年のパリ五輪を目指すかどうかはまだはっきりと決めていません。でもまだまだできていない課題はあるので、それをひとつずつできるようになりたいです。
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【プロフィール:寺田明日香(てらだ・あすか)】
1990年生まれ、北海道出身。早稲田大学人間科学部(通信制)卒業。小学4年から陸上を始め、日本選手権で3連覇を果たす。 23歳だった2013年に引退し、2016年に7人制ラグビーに転向する形で競技復帰。2019年に陸上に復帰し、日本人女子21年ぶりの五輪100mハードル準決勝進出。2014年に現マネジャーの夫・佐藤峻一さんと結婚し、長女を出産。

1992年生まれ、神戸出身。2016年に朝日新聞社入社。静岡、大津総局を経て、2020年10月から現職。小学生のころは器械体操に夢中でした。趣味は家庭菜園、寺社や銭湯めぐりなど。