2022.05.10
学びインタビュー 平岡妙子

「経験が自分を変えてくれる」 マラソン金メダリスト・野口みずきさん

夢中の力


アテネオリンピックのマラソン女子で金メダルを獲得した野口みずきさんに、好きなことを続けて、強くなる秘訣を聞きました。小さなころは引っ込み思案だったそうですが、競技が強くなることで、心も強くなっていったそうです。なぜ、金メダルを取ることが出来たのか。
たっぷりとお話を聞き、前後編の2回に分けてお届けします。

前編:経験が自分を変える マラソン金メダリスト・野口みずきさん

後編:私は運が良い!」逆境を変えるプラス思考 マラソン金メダリストの野口みずきさん

小さいときは引っ込み思案な子

――小さいときは何か習い事はしていましたか?

何もやっていませんでしたね。授業が終わったらみんなと運動場で遊んでました。うちは親が勉強しろと言うタイプではなくて、のびのびと育っていました。

――遊びの中で何か、足が速くなる要素はあったんでしょうか?

年の離れた兄と姉がいて、その友だちと外でずっと一緒に遊んでいて、みんなの後ろを追いかけて走っていたからでしょうか(笑)。

――自分自身で、足が速いなと実感したのはいつごろですか。

運動会で100メートル走とかはだいたい1番から3番だったので、走るのが速いんだろうなとは実感していました。

――それなら、小学校ではいつもリレーの選手になっていたんですか?

リレーに自分で立候補とかはしないタイプでしたね。どちらかと言えば、引っ込み思案でした。中学校で友だちに誘われて陸上部に入ったんですけど、最初は短距離で走っていたのですがバトンミスが多くて、私にはちょっと向いていないなと思っていました。

経験が自分を変えてくれる

――最初はあまり前へ出るタイプではなかったのでしょうか?

成長するにつれて、どんどん積極的になっていきました。自分の競技力があがると同時に、積極的なところが出てきたのかなと感じます。

――最初から負けず嫌いではなかったんですね。「うちの子はまったく負けん気がなくて、これでは強くなれずに大丈夫でしょうか?」と心配する親がいるのですが、どう思いますか?

大丈夫です!その子があきらめずに取り組んでいけば、どんどん気持ちも強くなっていきますから。経験が自分を変えてくれる。強くなれば、どんどん視野も広がっていきますし、必ず変わっていきますから。

――良い言葉ですね!習っているスポーツでも勉強でも、親はすぐに「うちの子に向いているのか、向いていないのか」とすぐ考えてしまいがちです。

親は子どもが可愛くて、自分の考えるようになってほしいと願いますよね。でも子どもは、自分でちゃんと自分の道を考えられますよ。親が道しるべになってこっちだよと教えてしまうことは時には大事ですが、子どもにとって本当はあまり良くないのかなと思います。考えさせることが、必要なのかな。

どんなスポーツも、最後は自分との戦いです。自分で瞬時に判断して、自分で考えないといけない。考える力を自分で養わないといけない。世界一の舞台を経験した立場から言うと、考える力が一番大事だなと思いますね。

――陸上を自分の生きて行く道にしようと決めたのは、いつですか?

社会人に入ってからですね。高校時代は全国インターハイに進めた選手になったのですが、予選落ちだったものの、7社ぐらいは実業団から声をかけられました。素質があるのかな、やってみようという感じでした。社会人になって2年目に、ハローワーク時代があって目覚めたんです。

恵まれていた環境への感謝の思い

――「ハローワーク時代」って、何ですか?

社会人になって2年目に、会社のトップと陸上部の監督、コーチの意見が合わなくなって、一緒に退部しました。次の受け入れ先が決まるまでの4カ月間のことを、ハローワーク時代と呼んでいるんです。職業安定所にも通っていたので、「チームハローワーク」と呼んでいました(笑)。

そのハローワーク時代に、包丁を握るところから初めて自炊を覚えました。栄養も考えて献立作りもするようになりました。

社会人になってすぐに、栄養士さんが考えたメニューを調理士さんが作って、ご飯を食べるだけ。食器も洗わずに「ごちそうさまでした」と渡すような生活だった。あー、いままでどれだけ自分は恵まれていたんだろうと実感しました。お金をいただきながら、自分の好きな競技をやらせてもらえるありがたさを感じられるようになりました。自分の仕事は、走って結果を出すことなんだと覚悟するようになりました。

そこからですね。次の受け入れ先となってくれた会社が、新しく陸上部を作ってくれました。1999年の就職氷河期の頃で、こんな大変なご時世の中で手厚いサポートをしていただけることに、感謝の気持ちがわーって湧いてきました。

私ともう一人の2人だけの陸上部だったのですが、2人で10人分ぐらいの成績を出しましたよ!大会にもバンバン出て、ウソみたいに自己記録も更新して、本当に気持ちが結果となって表れました。

走れなかった時期が力になった

――その4カ月間があって、大きく変化したのですね。

真剣に自分と向き合って、競技に集中できたことが大きかったですね。そのときが、金メダルに続いたターニングポイントだったと思います。

――走り続けたいのかという根源的なことを考えたからですか?

最初の会社は大きかったので、上司が「ここにいた方が、安定的だよ」と私のことを考えて引き留めてくれました。すごく悩んだのですが、私は走るために入ってきた。最初に見てくれた監督、コーチにずっとついていこうと思いました。

歓声を独り占めしたいという欲が出た

アテネ五輪の女子マラソンで優勝した野口みずきさん  撮影:朝日新聞社アテネ五輪の女子マラソンで優勝した野口みずきさん  撮影:朝日新聞社


――マラソンを自分の道だと決めるまでは、どのような道筋だったのですか?

最初はマラソンを走ろうとは思っていませんでした。長い距離を走るときのリズムなどを見て、こいつはマラソンに向いていると当時の監督・コーチが思ったみたいで。マラソンの走る前の第1歩として、ハーフマラソンを走ったら、予想の記録よりも速くゴールして、手応えを感じて、面白いなと思いました。そこから1年ぐらい練習して、初めてハーフの世界大会で銀メダルを取りました。翌年2000年のシドニーオリンピックで高橋尚子さんが競技場の歓声を独り占めしているのを見て、「私もこの歓声を独り占めするぞ!」と思いました。そこからマラソンを本格的にやったんです。

――それもやっぱり、経験があって、だんだん欲が出てくるということなんですね。

経験、競技力、成績が一緒にあがっていくんですね。

――マラソンを始めてからアテネで金メダルを取るまで、苦労したことはありますか?

特にないような気がする(笑)。苦労とは思わなかったということですね。練習メニューも大幅に増えるし、距離も増えるけれど、しんどい分だけ、達成感を感じていましたね。

私は運が良い

――苦労がないって、すごいですね(笑)。高い壁を乗り越えて、苦労の末に金メダルにたどりついたという人が多いですからね。目標を立てて、達成感を感じて、さらに前へ進むという目標設定がうまかったのでしょうか?

私、運が良いんです!初マラソンの前年の2001年に、けがで予定していた大会に出られなかったんですね。それで苦手なトラックを中心に練習していたら、日本選手権の1万メートルで3位に入って、世界陸上の代表に選ばれたんですよ。監督も、晴天の霹靂でびっくりしちゃって。おまえが1万メートルで世界への代表に選ばれるのか?って。そのときの日本選手権は、雨で雷も鳴って、コンディションが悪かったんですよね。でも、そういう悪い時こそ力が出る。それで世界へ行けたんです。

――自分が「運が良い」と思えるところがすごいですね。悪いコンディションの時こそ力が出るのはどうしてですか?

逆境に強いんですね。アテネで金メダルを取るために、いろんな逆境が導いてくれたのではないかな、と振り返って思うんです。そういう不思議な巡り合わせとかを信じるタイプですね。

★後編は、逆境に強くなれたのはなぜなのか、について話を聞きます。

【プロフィール:野口みずき(のぐち・みずき)】

1978年生まれ。三重県出身。2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリスト。2005年ベルリンマラソンでは2時間19分12秒でアジア最高記録、日本最高記録。2008年北京五輪は直前のケガで出場を辞退。2013年世界陸上モスクワ大会に出場。2016年引退。現在は岩谷産業アドバイザーをしながら、陸上解説者や全国の子どもたちにスポーツの大切さを伝える活動をしている。


写真撮影:滝沢美穂子

関連記事:後編:「私は運が良い!」マラソン金メダリストの野口みずきさん

平岡妙子
平岡妙子

朝日新聞社に記者として入社し、社会部、AERA編集部や武蔵野支局長など。教育担当が長く、主に小中学校の学力調査や受験業界などを取材。小学生の時には合唱団で歌っていました。学校の取材で子どもの歌声を聞くと、涙腺がすぐゆるむ。大学生の長男と小学生の長女がいます。

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