2022.05.10
学びインタビュー 平岡妙子

「私は運が良い!」逆境を変えるプラス思考 マラソン金メダリストの野口みずきさん

夢中の力


アテネオリンピックのマラソン女子で金メダルを獲得した野口みずきさんは、「私は運がいい」と語ります。そして、悪い条件の時こそ力が出るそうです。どうして逆境に強くなれたのか。その秘訣を聞きました。後編をお届けします。

前編:経験が自分を変える マラソン金メダリスト・野口みずきさん

後編:「私は運が良い!」逆境を変えるプラス思考 マラソン金メダリストの野口みずきさん 

逆境に強くなれたのはなぜか

――悪いコンディションの時ほど力が出るというお話を伺いました。逆境に強くなれたのは、どうしてでしょうか?

向かい風になればなるほど、ぐいぐいと進んでいくタイプですね。

1人の強さではなくて、監督とかスタッフの支えが背中を押してくれているので、立ち向かえるんです。

監督、コーチ、マネージャーが、とうちゃん、兄ちゃん、ねえちゃんという感じだったんですよ。怒られたとしても、家族の愛に包まれているような雰囲気でした。よくダジャレを言うし、笑い合っていて。苦しいことも何でも一緒にやってきた、家族であり、同志でした。

――周りの人に感謝する気持ちを持てたということでしょうか?

当時の監督が、「競技者の前に、1人の社会人として、あいさつからしっかりしなさい」など生活面にも厳しい人でした。一緒に頑張っていた仲間もきょうだいみたいで。厳しさの中にも家族のようなあたたかさがあったので、この人たちのために結果を出したいと思えたのです。一緒に喜びを分かち合いたい。それが逆境の時にも、パワーになりました。

――1人ではなかった。それが金メダルにたどりつく大きなパワーとなったんですね。

2003年、パリでの世界選手権で銀メダル取ったときに、監督とコーチがその日の夜の祝勝会で泣いてくれたんですよ。「良かった、うれしかった」と男泣きしてくれて。それがすごくグッときて、あの厳しい監督たちの涙が見れて良かった。「もっと泣かしてやりたい!」という気持ちになったんです。次は、アテネオリンピックで金メダル取ったら、監督を胴上げしたいなという思いになりました。

スタートラインに立ったら、自分が1番だと思う

――リレーに立候補もしなかった引っ込み思案の女の子が、経験を積み重ねることによって、絶対金メダル取ってやると思うように成長するんですね。

競技者として、良い意味で気が強くなれた。引いたらダメ。スタートラインに立ったら、自分が1番と思っていないとダメなんですよね。自分の競技のレベルがどんどんあがっていくのと同時に、気持ちもどんどん上に行けました。

アテネで金メダルを取った瞬間に、金メダルの次の目標は記録だという目標を決めました。そして2005年のベルリンマラソンで2時間19分12秒の日本記録を出しまして、それはいまも破られていません。金メダルのあとすぐに、日本記録への挑戦をスタートして、計画を実行していけました。

――やはり目標設定の立て方と、そこへ向かう意欲がすごいんですね。

でも五輪の連覇を狙って、自分で自分にプレッシャーを与えてしまいました。肉離れをおこして、普通に練習できない日々が続きました。

いつも通りに接してくれるありがたさ

――北京オリンピックの直前に辞退という、つらい決断になりましたね。

金メダルで頂点を見たあと、どん底を見ました。自分を見失ってしまった瞬間がありました。どれだけ待っても回復せずに、イライラして、コーチと言い争ったときもありました。

人を信じられなくなって、人間不信に陥ったときに、いろんな人からお手紙や応援の言葉をもらったこともうれしかったです。朝練習ですれ違う人たちが、特別に頑張れという言葉ではなく、いつも通りあいさつしてくれたときに、「あっ、いつも通りでいいんだ」と思えるようになりました。まわりの人が普段通りに接して、支えてくれたことがうれしかったです。

――自分で自分を責める気持ちが強く、そこから乗り越えるのが大変だったということですか?

周りの人の声をしっかり聞くことは大事ですね。そして、感謝の気持ちを持つこと。その大切さを改めて思い知りました。

「よし、ここからだ!」というプラス思考に変える

――その後も、ロンドン、リオオリンピックを目指して挑戦を続けましたが、「自分は終わった」と思いそうになるときに、乗り越えられる人と乗り越えられない人の違いは何だと思いますか?

「よし、ここからだ」というプラス思考です。ロンドンオリンピックの選考レースに出たけれど、けがの後遺症で、国内選考レース6位という結果に終わってしまいました。でも、スタートできたことは手応えがありました。

次に名古屋ウィメンズマラソンから世界陸上の代表に選ばれました。これは奇跡だ。1回やめようと思ったぐらいにどん底を味わったのに、リハビリを頑張って、地道にこつこつとやれば、また世界の舞台に立てるんです。

走った距離は裏切らない

私の座右の銘は、「走った距離は裏切らない」という言葉です。ただ、北京オリンピックで直前のケガのため出場を辞退したときに、「野口さんは走った距離は裏切らないと言ってましたが、異常すぎるほどの練習量で、裏切られたじゃないですか」と書かれた手紙が届きました。ずしんときましたね。

でもそんな状態を味わったあと、2013年の世界陸上モスクワ大会の代表に選ばれたときに、やっぱり、走った距離、努力は裏切らないんだなと思えました。努力をすることで夢が叶うとは言っていない。でも必ず、夢に近づけるんですよ。ひとつひとつ丁寧に努力することは、やがて大きな結果として表れるんだなと思います。

世界陸上では熱中症で途中棄権してしまい、ほろ苦い復活ではありましたが、「努力は裏切らないんだよ」とやっぱり言いたいですね。

一段一段あがるように努力をしてほしい

 アテネ五輪・女子マラソンの表彰式で手を振る野口みずきさん 撮影:朝日新聞社 アテネ五輪・女子マラソンの表彰式で手を振る野口みずきさん 撮影:朝日新聞社


――こつこつと努力を積み重ねていくことが、一番大事なんですね。

アテネに出場したときには、本当にワクワクしていました。オリンピックってどんな舞台だろう。めちゃめちゃ頑張ろうと張り切っていました。でも北京では、プレッシャーを感じてしまった。純粋に楽しもうというのではなくて、金メダルを取ろうと思って練習していた。

アテネまでは一段ずつ階段をのぼっていったのに、北京では一段ぬかしで登ろうとしてしまいました。

――勝つためという焦りがあったのでしょうか?

いま私は全国で子どもたちに講演活動をしています。いつも伝えているのが、階段を一段一段あがるように努力してほしいということ。一段抜かし、二段抜かしをしようとすると、足をすべらせてしまうよ。近道はないよと言いたいですね。どれだけ下手でも苦手でも、地道に繰り返し練習してもらいたい。

自分の好きなことだったら、あきらめそうになっても地道に頑張れば、いつか花開くと思います。

――頑張れば夢が叶うではなくて、必ず夢に近づけるというのが良いですね。夢が叶うというと、勝たないと意味がないという考え方になってしまいますからね。

どんな子どもにも、楽しんで欲しい。ちょっと肩の力を抜いて考えることが必要。少しさぼってもいいから楽しんでいると、心がリラックスして進んでいけます。

私は26歳で金メダルを取りました。フレッシュな気持ちで、心から大会を楽しもうと思えた。ヘンな情報や欲がなかったから。脂がのっているときで、それも運が良かったですね。

ある程度の年齢までは、自分のやりたいことや目標が固まっていなくてもいいと思います。私も小学生のころは、ヘアメイクアーティストになりたいとも思っていましたから。視野を広げて、いろんなことに挑戦してほしいですね。

いつも「私は運が良い」という思考

――陸上を極めた結果、身についた力はどんな力でしたか?

走ることを通して競技力が上がり、出合う人が変わる。金メダルを取ったら、いろんなことを見て、あちこちに呼ばれて話をするようになって、「考える力」が養われました。頭が良くなりましたよ(笑)。積極的になれて、自信を持って話すことが出来るようになりました。

これも私は運が良いのですが、マラソンを本格的にやろうと思ったきっかけになった高橋尚子さんという素晴らしい人との出会いもありました。競技の面でも背中を見せてくれましたが、競技以外の世界での人との接し方などを見せてもらったおかげで、私もいろんなチャンスに飛び込もうと思ってここまで来ましたね。

全国を回って、金メダルを見せると、いまの子どもたちも「わ~っ!」て目がすごく輝くんです。みんなに喜んでもらえる姿を見ると、金メダルも喜んでいるなと感じます。

――「私は運が良い」と言えることが素晴らしいですね。そのとらえ方が、大きなパワーを出せる源だなと感じました。とても良いお話をどうもありがとうございました。

【プロフィール:野口みずき(のぐち・みずき)】

1978年生まれ。三重県出身。2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリスト。2005年ベルリンマラソンでは2時間19分12秒でアジア最高記録、日本最高記録。2008年北京五輪は直前のケガで出場を辞退。2013年世界陸上モスクワ大会に出場。2016年引退。現在は岩谷産業アドバイザーをしながら、陸上解説者や全国の子どもたちにスポーツの大切さを伝える活動をしている。

写真撮影:滝沢美穂子

関連記事:前編:経験が自分を変える マラソン金メダリスト・野口みずきさん

平岡妙子
平岡妙子

朝日新聞社に記者として入社し、社会部、AERA編集部や武蔵野支局長など。教育担当が長く、主に小中学校の学力調査や受験業界などを取材。小学生の時には合唱団で歌っていました。学校の取材で子どもの歌声を聞くと、涙腺がすぐゆるむ。大学生の長男と小学生の長女がいます。

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